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マルク・レビンソン著『コンテナ物語』に見る コンテナ輸送の歴史とその未来

 21世紀初めの現代を生きる我々にとって、「コンテナ」という輸送機器は、日頃から何となく親しい存在である。誰もが直に触れるほど近くにあるという訳ではないが、確かに見覚えのあるものと言えるのではないだろうか。たとえば、太平洋に臨む波打ち際を歩いて、ふと沖合の遥か彼方にポツンと浮かぶ巨大な船らしきものが見える。たまにホームを走り抜ける貨物列車の長い列に出くわすことがある。通勤途中の窓から、湾の対岸に色とりどりのブロックのように積み重なったものがいつも見える。そのくらいの距離感が、我々と「コンテナ」の日常的な間柄と言えるかもしれない。
 沖合を往く巨大な「箱」船や、港に積み上げられた「箱」庭の風景は、いつしか現代社会の一部となり、敢えて疑問に付されることもない。しかし、そんな風景も元を辿ればやはり原初の姿があり、誕生のきっかけがある。実際のところ、「コンテナ」はどうやって生み出され、いつ頃から広く世の中に普及していったのだろうか。

「箱」の経済

 「コンテナ」の遥かな原点を考えるとき、何かを「包含」する存在というのは、人類が発想する以前からもちろんあった。植物を見れば、種子を包む果肉や殻があり、動物の眼球は目ぶたと眼窩に包まれ、哺乳類の内臓や脳は肋骨や頭蓋骨にがっちりと守られる。ヒトが我が子を育む子宮もまた包含という機能の具現と言える。
 そうした自然の形状から、人間は無意識のうちに概念を学び、身体や道具を使って真似てきた。そのうちに所有の欲求を満たすべく、所有物を保護するための自己の延長とも言うべき「箱」が生み出された。家屋をはじめ、倉庫、金庫、樽、ワードローブ、カバン、籠、米俵、弁当箱、等々。多様な形態の「箱」が人間の周囲に出現した。「箱」に物を入れ、また人間自身も「箱」に入り、マトリョーシカのようにそれを繰り返すことが我々の社会経済の骨組みとなった。母の子宮から飛び出し、それらの活動を繰り返し、最後には魂ごと棺桶に入る。まったく「箱」は人間存在の拡張された領域と言える。
 そうした文脈で考えたとき、輸送機器としての「コンテナ」も、やはり人間存在の拡張領域であることに気づく。それは他の「箱」と同様、やはり人間の欲求から生まれたものに他ならない。

「コンテナ」が変えた海運

 2006年3月にアメリカ人エコノミストのマルク・レビンソンが著した『コンテナ物語 世界を変えたのは「箱」の発明だった』という一冊は、20世紀後半の激変する世界の模様をじつに興味深い角度で切り取った名著である。
 レビンソンによると、本格的な「コンテナ」の歴史は20世紀後半のアメリカで始まった。その創成期は、二度の大戦を経て世界一の経済大国に登り詰めた彼の国の歴史の一幕だったとも言える。第二次大戦が終わり、海軍による傭船から解除された3000隻もの貨物船(戦時中に大量生産されたリバティ船と改良型ビクトリー船)が安価に入手可能だったことや、日本をはじめとするアジア諸国の経済が成長期に差しかかろうとしていたことなど、諸条件が重なり合うなかで革命的な「箱」の歴史は幕を上げた。
 船で運ばれる貨物を「コンテナ」に込めてから積み込むというシンプルな発想は、従来の海運業界にとって破壊的であり、いわば危険思想的だった。それまで港湾労働者が上屋で混載に仕立てて木製パレットで積み込んでいた貨物を、荷主が金属製の「コンテナ」に入れて港まで運んでくる。船会社はコンテナ専用ヤードを展開し、ガントリークレーンで船に積みつけさえすればいい。人手はといえば、組合から派遣される大勢の沖仲仕はもう必要なく、クレーンのオペレーターを確保しさえすればよかった。つまり、荷役作業の機械化であり、太古から存在する「港」という機能の合理化にほかならなかった。「コンテナ」化によって、多くの港湾労働者が港を去り、船会社をはじめ海運と踵を接するあらゆるプレーヤーが、その合理性の前に遅かれ早かれ膝を屈した。

マクリーンの発想

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Maersk Line – Malcolm McLean at railing, Port Newark, 1957

 破壊的な変革は往々にして、外側からもたらされる。アメリカというある種の前衛を好む国でも、それは同じである。「コンテナ」化という変革を推し進めたのは、ノースカロライナ州南東部のマクストン近郊で生まれ、トラック一台からのし上がった起業家マルコム・パーセル・マクリーンだった。
 マクリーンは1934年にトレーラーを借り受けて輸送業を始め、堅実な家族経営のもと、企業買収を重ねてマクリーン運輸の事業を拡大。1955年にマクリーン・インダストリーズを設立すると、パンアトランティック海運を買収して海運業に乗り出した。
 当時の彼らにとって、海運業への進出はトラック輸送の延長とも言えるものだった。トレーラーごと海上輸送するという発想から、やがてシャーシを外したボディ、つまり「コンテナ」を輸送する構想に至った。より合理的なコンテナとクレーンの開発、そしてコンテナ専用船の建造へと投資を重ね、1960年代末には世界一のコンテナ船保有数を誇る船社に成長した。陸上から海上まで一貫して輸送するサービスから「シーランド」(Sea-Land)というブランドを冠し、その名が現在まで受け継がれ、世界最大の海運コングロマリットA.P.モラー・マースクの傘下で生き続けている。
 トラックという物流の中では荷主に最も近い輸送モードから出発したからこそ、革命的起業家マクリーンは旧態依然の海運業界に余計な気遣いもなく、サプライチェーン全体を視野にしたマルチモーダルな輸送形態を考案することができたのだろう。『コンテナ物語』の著者レビンソンは、同書の中でこう語っている。

「マクリーンによるコンテナリゼーションはそれまでの試みとはまったくちがうものになったのである。輸送コストの圧縮に必要なのは単に金属製の箱ではなく、貨物を扱う新しいシステムなのだということを、マクリーンは理解していた。港、船、クレーン、倉庫、トラック、鉄道、そして海運業そのもの-つまり、システムを構成するすべての要素が変わらなければならない。そう理解していたマクリーンは、運輸業界で何年も先を疾走していたと言えるだろう。」

 21世紀の物流を知る人がこの本を読んで脳裏に浮かべるのは、「シームレス」という、今や使い古された感のある表現かもしれない。グローバル企業のサプライチェーンが街の隅々まで行きわたる現代社会から、当時の成り立ちを逆算して辿ることはいとも簡単であり、同書の中で描かれるエピソードも特段目新しいものとは映らない。しかし、あの時代に国境を越えたサプライチェーン・マネジメントなど存在せず、ロジスティクスと言えばまだ軍事用語でしかなかったことを思うと、煩雑な輸送活動をシームレスに繋ぐというマクリーンの閃きはやはり天才的だった。ベトナム戦争の苦々しい記憶の中にまでその人の活躍の場が広がっていたのも興味深く、またアメリカらしい戦地のユーモアのようにも響いて苦笑いしてしまう。

インフラ化へ

 かくして「コンテナ」化という現象は、まず寄港時に要する荷役費用を大幅に低減した。それだけでなく、輸送日数をぐっと短縮し、梱包の簡略化も促し、輸送にかかる保険費用も引き下げたことで、市場は着実に拡大していった。
 輸送を担う船会社に十分な利益が流れ込み、さらなる拡大に向けて投資を進めていくなか、今度はメーカー荷主が拡大するコンテナ輸送の利用価値に気付き始めた。いや、本来「コンテナ」は荷主にとって意味をなすものだったのだから、当然のことが起こったと言えよう。世界中にサプライチェーンの網が張り巡らされる時代がやってきた。
 そうなると、コンテナ輸送に対応できる港が地域経済を牽引する存在になる。コンテナ船専用バースを備えた港が各国の沿岸で新築され、一方で従来の混載船にしか対応できない伝統的な港は瞬きの間に衰退していった。70年代になるとコンテナ化の波は北大西洋から太平洋へと広がり、ハブ港を目指すシンガポールをはじめ、日本、香港、台湾などの各地で次々に開発が進められた。あらゆる貨物が「箱」の中に収まって輸送される時代が訪れ、「コンテナ」という輸送機器は合理的で強固な一種のインフラと化した。
 もう昔の港の姿へと後戻りする選択肢はなく、ひたすらコンテナ船とバースの大型化が繰り返されるのみである。コンテナ船の輸送能力は、マクリーンの「シーランド」が最初に運航した改造コンテナ船で33フィート・コンテナ62個だったが、約半世紀後の21世紀初頭には1万TEU級にまで飛躍していた。

起業家の最期

 マクリーンという人は、本質的に起業家であり、経営者として評価すべきキャラクターではなかった。マクリーンが立ち上げた「シーランド」は、コンテナ普及とともに勃興した競合他社との競り合いや、市況、原油価格の変動、そしてより革新的なコンテナ船の建造競争の中で収益性確保に苦しみ、やがて後発船社に主役の座を奪われていった。
 『コンテナ物語』の後半は、マクリーンの人生の斜陽を描きつつ、一方でアジア太平洋地域を中心に勃興する巨大な港湾とコンテナ船の時代を遠巻きに見守る。それは最早、マクリーンが業界の垣根を次々に壊してのし上がっていった時代のような手応えの感じられない、市場原理中心のビジネスだった。尤もそれが「コンテナ」という合理性の具現たる輸送機器が辿る運命であったことも確かだったが。
 収益性を確保するために、シビアな費用分析に徹したのはマクリーンとその会社も同じだった。しかし、マクリーンの場合、経営へのシビアさはまず成長のための努力であって、現状維持のための機械的計算ではなかったに違いない。そもそも現状維持という選択肢は、起業家の頭脳に初めから存在しなかったのだろう。
 「コンテナ」が当たり前の風景になり、市場に船腹が溢れ、同盟運賃なしには経営を維持することが困難な時代だった。やがて、革命的起業家マクリーンにも表舞台から姿を消す時が訪れた。マクリーン・インダストリーズが買収したユナイテッド・ステーツ海運が経営不振に陥り、当時として過去最大の倒産という憂き目に遭った。齢七十を過ぎていた起業家にとって、そこからの再起はもはや叶わなかった。レビンソンはマクリーンの最後を簡潔ながら印象深い描写で綴っている。

「ユナイテッド・ステーツ海運の倒産から五年後の一九九一年、マクリーンは小さな海運会社を始める。七七歳になっていた。かつてのシーランドの経営幹部はほとんどが海運業界の重鎮となっており、彼らに懇願されてマクリーンもたまには同業者の集まりなどに顔を出すようになる。マクリーンは敬意を払われるべき存在だと誰もが感じていた。二〇〇一年五月三日、マクリーンの葬儀の朝には世界中のコンテナ船が汽笛を吹鳴して弔意を表している。」

 海運の様相を一代で変革した起業家に相応しい葬送の風景だった。
 今や当然のように存在する「コンテナ」輸送のあり方を考えるとき、その人の生き様を心の片隅に留めておくことは、俄かな知識を身に付けるよりもずっと有意義なことに違いない。

「箱」の未来

 マルコム・マクリーンの発想によって1955年に生まれ、本格的に普及していった「コンテナ」輸送だったが、その変化が貿易に与えた影響の見積もりについて、レビンソンは「当て推量に近いと言わざるを得ない」と記している。その理由の一つには、輸送活動が本質的に経済全体に行き渡るものであり、区間を区切って数字を示したところで大した意味がないことがあるかもしれない。ただ、その影響が顕在化してきた時期の目処としては、レビンソン曰く「何かが変わったのは、一九七〇年代後半のどこかの時点」であり、荷主によるコンテナ活用拡大によって、国際輸送の実質コストが「あきらかに下がり始めた」頃だった。そして、その変革期は「一九八〇年代前半でほぼ終わったが、その余波はずいぶん長いこと消えなかった」という。
 いったん回り始めた経済の歯車は、簡単には止まらない。コンテナ輸送の利用価値を知った荷主と、グローバルなサプライチェーンから齎される様々な日用品を当たり前に享受する消費者、そしてコンテナ輸送というインフラを支えることが使命であり、より合理的かつ大規模な船舶を導入することに躊躇わない船社。大陸を隔てていたはずの海は、今や最もコスト効率性の高い輸送の舞台となり、何か途轍もない変化が生じない限り、その茫々たる広がりを隔てるものは見当たらない。究極的な変化要因を挙げるなら、世界人口の動態こそがコンテナ輸送の風向きを左右すると言ってもいいのだろう。
 輸送機器としてこれだけ普及した「コンテナ」だが、本当に現在の世の中がその成熟の極みだろうか。否、そうは思わない。冒頭に記した通り、それは人間存在の拡張領域である。人間はその「箱」にまだまだ求めるに違いない。レビンソンが『コンテナ物語』の最終章で記したように、コンテナが「一段と安いコストで一層スムーズに世界を巡るようになる」ことは間違いなく、一方で危険物質の輸送や密入国、野積みでの放置など、社会問題につながる懸念を内包することも確かである。
 「コンテナ」の可能性は、本来的な経済活動の内側だけでなく外側にも存在し、その合理性ゆえに、良くも悪くも大きな変化をもたらし得るようである。かつてマルコム・マクリーンがトラック輸送から転じて海運業を変えてみせたように、またどこか思いもよらぬところから突飛な発想が現れ、人間らしい、新たな「箱」のあり方が生み出されるのかもしれない。


コンテナ物語

コンテナ物語  世界を変えたのは「箱」の発明だった
発行元: 日経BP社
発行日: 2007年1月22日
ISBN: 9784822245641
著者: マルク・レビンソン(著) 村井章子(訳)


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